お気軽読書生活

自分にとって読書は欠かせないもの。
いつでもどこでも、読みたい!と思ったときに読書をしたい。そう思っています。
昔はそうは言ってもなかなかそういうわけには行かなかったけど、今は携帯で手軽に読書が楽しめる時代となりました!
ケータイ小説を毎日ちょこちょこ読んだり、電子書籍で長編をガッツリ読んだりいろいろなものが読めるのも魅力的です。

人のお弁当を見る本にハマっています

世の中にはさまざまな本があります。
私は主に小説を読んでいるのですが、最近になって図書館で面白い本と出会いました。
それは、働いている人のお弁当をピックアップした本です。テレビ番組の企画から誕生した本のようですが、私は残念ながらその番組を見ていませんでした。それでも、フルカラーで構成されたその本は見ているだけでも楽しむことができます。ほとんどの人が普通に毎日摂っているお昼ご飯。人によっては食堂であったり、仲間と作るものであったり、お部弁当であったり…。社会人になると、職業によってお昼ご飯は本当に多種多様になるのだなぁ…と思いました。特に、お弁当は好みや家庭の様子が色濃く出ているようで興味深く感じられました。
私も、自分で作ることがありますが、場合によっては時間が取られてしまうのでコンビニ弁当で済ませてしまうことがあります。しかし、家族の誰かが愛情を込めて作ってくれたものや、健康を気遣って持参しているものを見ると、自分でもまた作ってみようという気持ちにさせられました。
他にも同じようなテーマの本があるようで、また図書館に行ったら小さなコーナーが作られていました。その中からまた面白そうな本を私は手に取るのです。

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たくさん本を読んでいる人の秘密

本好きのためのSNSを同じ趣味の友達とともに利用しています。そのSNSでは、一ヵ月ごとに読んだ本をまとめることができるのですが、私は小説を中心にせいぜい10冊くらいが精いっぱいです。しかし友達は漫画本を含んでいるとはいえ月に30冊以上も読んでいるのです。
お互いに、貸し借りする共通の友達もいます。しかし、彼女の読書量はそれだけでは賄うことはできないでしょう。古本でたくさんの本を仕入れているのでしょうか?
本人に聞いてみますと、レンタルコミックのおかげでたくさん読むことができているとのことでした。最近、レンタルビデオ店などで人気コミックもレンタルされているというのです。私はあまり行かないところでしたので盲点でした。漫画喫茶よりも品数は少ないとのことですが、まとめて借りれば借りるほど安くなるということですし、友達は漫画であればすぐに読み終えてしまうということで、借りる日数も少なくて済むとのことです。
あまりお金もかからず、収納スペースを気にすることもなく、でも最新作が読めるということで良い事ばかりではないでしょうか?中には小説や実用書などもレンタルしてくれるお店もあるということです。私も、もっと賢くサービスを利用して読書の幅を広げていきたいと思います。

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外出先で読書

先日、知人とこんなことを話しました。「おひとり様で飲食店へ入っていけるか?」という内容です。
私はひとりではファーストフード店さえも躊躇ってしまうので答えは残念ながら「NO」です。しかし、その知人は「カウンターがある場所なら大抵行ける」というのです。すごいなぁ…と感心しつつ、一人で待ち時間に何をしているのかと聞くと、その知人いわく「本を読んで過ごす」のだそう。なるほど、私も毎回出かける際には文庫本を持ち歩く読書家ですから、本を読みながら待つというのは良さそうな感じ。けれども、はてさて、そういったところで本を開いたところで、内容がちゃんと頭に入ってくるものなのでしょうか。
私は誰の目も気にしないところでゆったりと本を楽しみたいので、そういった慣れない空間で本を開くことがスムーズに出来るかと言われると正直自信がありません。人の目を気にせずカフェでお洒落に文庫本を楽しむというスタイルには憧れを抱きますが、自分には出来るかどうか…。そういった意味ではそれが出来てしまう知人は私よりもスタイリッシュなのかもしれません。たまには空気の違うどこかで本を読むというのも、新鮮でいいのかもしれませんね。ちょっと背伸びしてチャレンジしてみようかと思います。

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国ごとの表現方法

「言葉のつかい方」には、その国独自の特徴があるのではないでしょうか。私は普段からよく読書をしているのですが、国内の作家さんの作品と海外の作品とではその違いが顕著に現れているように感じるのです。
よく「アメリカンジョーク」という言葉を耳にしますが、いわゆる「笑いのツボ」というものの違いであったりタブーとされる表現など、その国ごとに違いがあるということには面白さも感じます。海外作家さんの作品を読んでいると、時にその表現の違いに違和感を覚えることもあるのですが、言い換えればそれが「洋書」の味だともいえるのではないでしょうか。
また、私たちのこの日本の文化や表現方法にはかなり独特なものがあるとされ、外国人の方には受け入れ難いことも多々あるようです。日本人のへりくだった姿勢や謙遜を「消極的」ととられることも多いでしょう。しかし、それを「奥ゆかしい」という意味で好意的に受け取ってくれる外国人の方も多いのです。お互いの文化が作り上げた伝統や習慣、表現方法を知れば知るほど、その違いと同じくらいたくさんの類似点にも気付くことができるように思います。国は違えど、一番大事なところはやはり同じなんだなぁと思うと、それだけで今までよりも諸外国をグッと近くに感じることが出来るような気がします。

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本のリサイクル

気付けば私の部屋にはたくさんの文庫本、ハードカーバー、漫画が溢れ、床に、タンスの上に、クローゼットの中に山積みになっています。こういう状況を見て、「まるで映画に出てくるえらい作家さんの部屋みたい」とほくそ笑んでいた時期もあったのですが、この度一大決心をし、もう読まないであろう本たちをリサイクルショップへ旅立たせることにしたのです。
ダンボールにぎっしり詰め込まれたそれらの本たちに別れを告げ、いざリサイクルショップへ。こういう時、ただのゴミとして処理してしまうのとは違い、罪悪感が薄らぐように感じます。私が読んだ本がまた誰かの手に渡るのだと思うと、やはり本をこよなく愛する身としてはリサイクルショップを活用しない手はありません。私自身、こういったところで中古の本を手にすることが多々あります。状態の良い本を見ると、丁寧に扱われていたことがわかりますし、読まれすぎて端が切れてしまっている本、変色してしまった本でも、その本の内容次第では特に気にすることはありません。ですが、やはりどうせなら綺麗な状態で次の人の手に渡したいものです。本を丁寧に扱うこと、大事に管理することも本好きの勤めなのかな、なんて感じたりもするのでした。

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図書館に行こう

近年懸念されている「活字離れ」。将来的に町から書店が姿を消すのでは…?との声も聞いた事があります。しかし、私が普段からよく利用している町の小さな図書館は、今日も幅広い年齢層に利用されています。
以前は、「本は買うもの」という考えが定着していた私。知人のすすめで(節約の意味もこめて)初めて図書館で借りたのはずいぶん昔になります。その頃から定期的に図書館を利用していますが、人の姿がそこから消えたことは今までありません。高校生が勉強をしていている姿もあれば、小さなお子さん連れのお母さんが絵本を選んでいる姿も。歴史小説や新刊の前には年配の方や若い大学生。図書館にくると、いつもなぜか自然と頭に「老若男女」という言葉が浮かんでしまうくらい、性別、年齢に関係なく利用されているのです。
そんな空間にいることが好きですし、皆が集う場所として愛されているのだなと思うと、なぜか不思議とホッとするのです。図書館には昔から大きな声で喋らない、というマナーがありますが、自然とそれが守られ続けていると思います。だれもが心地よく快適に図書館を利用したいと思い、お互いが尊重しあっているからこそこのマナーが自然と崩れずにいるのでしょう。こんな空間が消えてしまうことのないよう、日々本を読んでいきたい、なんて思うのでした。

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子供の頃の夢

小さい頃は、周りと同じであるかどうかがとても大事だったりします。大人からしてみたら、「人と違ったって気にすることはない」と思うようなことかもしれませんが、それがたとえ些細なことであったとしても、周りの皆と違うということは子供にとっては一大事だったりするのです。
私の小学生の頃の夢は「小説家になること」でした。
両親の影響もあって小さい頃からよく本を読む子供だった私。遊園地やレストランに行くことよりも「本屋さんに連れていってもらえる」ことが嬉しかったことを今でもよく覚えています。自然と国語は一番得意な科目になり、文章を読むことだけでなく書くことも好きでした。いつからか、「大きくなったら私も本を書く人になりたい」という夢を抱くようになっていったのです。
しかし、当時、女子は皆なぜか「看護師さん」「保育士さん」「お母さん」という三つに絞って考えていました。おそらく、その枠からはみ出すことが皆怖かったのでしょう。必然的に私もなんとなくその中から「お母さん」を選ぶようになり、本当の夢である「本を書く人になりたい」という夢は封印していったのでした。当時、きっともっと様々な「夢」がみんなの心にはあったでしょう。それが言えないと言う子供心。なんとなく、今思い出すと甘酸っぱいような気持ちになります。

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本を選ぶ際の傾向

普段から本を読んでいる私ですが、やはり好きな作家さんや偏ってくるジャンルというものがあるようです。
以前は恋愛小説、ヒューマンドラマのような内容を好んで読んでいましたが、とある作家さんの作品と出会ってからはすっかり好みに変化が生じたようで、ちょっとダークで重い感じがするような作品を好んで選ぶようになりました。
それも自分が歳をとったせいでしょうか。甘い恋愛よりも人間の闇であったり隠された真実を突くような作品に惹かれるのです。こういった「本を選ぶ際の傾向」には、自分が置かれた状況であったり精神的な背景が大きく影響してくると思うのです。それなりに歳を重ねてくると、世の中の汚い部分であったり理不尽さ、やるせなさを感じることも増えてきます。綺麗ごとだけではすまないことや、くさいものには蓋といった部分があるのだということをなんとなく理解出来るようにもなってきます。
ファンタジーを読んでも以前のようにそのストーリーに入り込めないというのはそんな背景があるからかもしれません。めっきり選ばなくなってしまった恋愛小説、ファンタジーを久々に読んだら、私は今どんな感想を抱くのでしょうか。ちょっと興味があったりもするのです。

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認めてもらうということ

小学生の頃は国語が大の得意だった私。特に作文を書くような課題では、純粋に楽しみながら取り組んでいたように思います。
作文は、自分を表現することが出来る数少ない場です。特に幼い頃の私は引っ込み思案で、自分の意見がなかなか言えないような子供でした。手を挙げて発言なんてまずなかったですし、何かに積極的に立候補するようなこともありませんでした。
そんな私ですが、胸の中にはいつも何かしらの想いを抱えていたように思います。そんな自分の想いというか、素直に言葉を使える場が「作文の中」だったのです。将来の夢であったり、読んだ本の感想であったり、その内容は様々ではありましたが、いつも楽しんで取り組んでいたことを覚えています。
そんなある時、私の作文がクラス代表に選ばれ、個人指導を受けることが出来ました。先生とのマンツーマン指導は緊張するものではありましたが、自分の作文の良さや直すべきところを詳しく教えてもらうことが出来ました。あの時の指導は今も覚えていますし、自分を認めてもらえたという喜びはとても大きなものだったように思います。子供にとって、自分を認めてもらうと言うことはとても大きな意味があるのではないでしょうか。月日が流れた今でも、私の胸にはしっかりとあの時の喜びが残っているのですから。

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時間の有効な使い方

私は気が長いほうです。待ち合わせの時間に相手が30分以上遅れたとしても、あまり頭にくるということがありません。むしろ、相手を待つその時間でさえも楽しめれば、それはイライラさせられる要因にはならないと思うのです。
病院や薬局の会計待ちで待たされすぎて会計窓口に苦情を言う人の姿を見たことがありますが、私はそんなに腹を立ててしまうということはないように思います。あいた時間を上手に使うことが出来さえすれば、その時間を楽しい時間に変えることが出来るのではないでしょうか。
ちなみに、私はいつも読みかけの文庫本を持ち歩くようにしていますので、何かの空き時間、待ち時間に手持ち無沙汰になるということはありません。むしろ、その時間にページを進めることが出来ると思うと、逆に得したような気分になってしまいます。以前はなんとなく周りの目が気になって人前で本を開く事ができなかったりもしたのですが、それが出来るようになったのは私もそれなりの歳になったということなのでしょうか。どんなに待ち時間が長くても、その時間を苦痛と供に過ごすかどうかというのは自分次第だと思えるのです。「時は金なり」といいます。せっかくの時間を有効に使いたいものですね。

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