お気軽読書生活

自分にとって読書は欠かせないもの。
いつでもどこでも、読みたい!と思ったときに読書をしたい。そう思っています。
昔はそうは言ってもなかなかそういうわけには行かなかったけど、今は携帯で手軽に読書が楽しめる時代となりました!
ケータイ小説を毎日ちょこちょこ読んだり、電子書籍で長編をガッツリ読んだりいろいろなものが読めるのも魅力的です。

意外に知らない本の取り扱い方

読書を趣味と自称している身としては、たくさん手に取る本を大切に扱いたいと思っています。ですから、時々図書館でもレンタル本屋さんでも、乱暴に扱われているものを見ると、悲しくなってしまいます。
だからと言って、私が正しい取り扱いを知っているかというと、実はそうではないということが分かりました。
新しい本を手にしたとき、特にページ数の多いハードカバーですが、読みやすいように真ん中あたりからぎゅっと押し広げてしまうことってありませんか?最近では分厚いソフトカバーのものなどもあるので、特にそのように扱ってしまうことがあります。単に折癖をつけたいということですが、この作業が本体に大きなダメージを与えていたというのです。
本は背表紙のところで糊付けされていますから、その部分が傷んでしまうというわけになります。また、単に糊付けだけでなく、縫い付けられているような仕様もあるので、強い力を急に加えることで、ページがバラバラになってしまうこともあるのだとか。
たまたま、本の部分名称などが書かれていたサイトで見つけた物なのですが、これにはちょっと関心させられました。
正しくは、柔らかい布の上などで表紙、裏表紙から10ページづつくらいを交互にゆっくり開いていくと良いのだそうです。
例え自分のものでも借りたものでも、もっと大切に扱おうと思いました。

Posted in 小説関連 | コメントは受け付けていません。

毎月のオフ会はネタが尽きてしまう…

本の好き同士、ひとたび話を始めるとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
新刊のこと、作家のこと、本屋さんでのこと…などなど。話題はいくらでもあるように思えるのです。
しかし、私は最近、ちょっとした限界を感じています。
それは、毎月開催している本好きが集まるオフ会での出来事なのですが…。私は、主催者という立場上、ほとんど毎月参加しています。他のメンバーは、仕事の都合などで入れ替えがあります。
月1回の会です。紹介する本は、一人2冊。
場合によっては、「今読んでいる本」まで紹介することもあります。本好きは、たいてい読みかけの文庫などを持ち歩いているものなのです。
もちろん、ひと月に2冊以上は読んでいます。オフ会が始まる前から読んでいるので、これまでの読書経験を合わせると、紹介できる本なんてたくさんあるはずなのです。
けれども、この会も2年近くになろうとする頃、毎月の開催日前日に紹介する本を選ぶのに苦労するようになりました。単に読むということと、紹介するということは違うのだと、今さらながら思い知ったところです。
それでも、細々と紹介できているのですから…。我ながら、頑張っていると思います。
いつ、ネタが尽きてしまうのだろうかとドキドキしながら、今日もまた新しい作品を読み始めるのでした。

Posted in 日記とか | コメントは受け付けていません。

詩集を読書するということ

「読書」といえば本を読むこと。長い文章を目で追い、活字で書かれた世界に没頭することだと思っていました。私の読む本が、文芸書がほとんどであるということもあるかもしれません。なんとなく、「文字の少ない本は読書ではない」と思ってしまっていたことがありました。例えば、漫画などは読書ではないのではないか?という具合です。人それぞれかもしれませんが、漫画でも人生を考えさせられるような素晴らしい作品は多くあります。文芸書よりも質が劣るなどということ決してありません。私は、文字数が少ないのに「読書」などと言っていいものか…、と何の根拠もないのに思っていました。そして、漫画の他に気になっていたのは詩集です。短歌や俳句の本にも興味があり、図書館でよく借りてきます。たいていの詩集や句集は当然ながら文字数が少なく、写真やイラストできれいにページがデザインされています。文字を追うだけであれば、すぐに読み終えてしまうのです。けれども、文字が少ないから単純な内容なのか?と問われれば答えは「ノー」です。文字数が少ない分、その言葉一つひとつ、フレーズごとにパワーがあるといいますか…。じっくり言葉をかみしめると、その力強さを感じるためかなかなかページをめくることができないこともあるのです。「読む」というよりも「言葉に込められた感情を感じとる」とでも言いましょうか…。私の中で詩集を読むということは、他のジャンルの本を手にすることとは少し違った意味を持っているのです。

Posted in 日記とか | コメントは受け付けていません。

本から情報を得るのはとってもお得?!

今や、インターネットで調べられないことはないと言われています。
スマホで、タブレットでいつでもどこでもインターネットに接続することができますから、非常に便利な時代になりましたよね。
接続料を支払っていれば、有料サイトででもない限り、ほとんどの情報は無用で手に入れることができるというわけです。
どんなものでも、わざわざ本を購入して調べる必要もなくなったと思ってしまいます。
しかし、実は本から情報を得ることがお得だということを知っていましたか?
最新のカフェ情報が知りたいのであれば雑誌を求めればいいし、古典について調べたいのであれば、新書や老舗の出版社があります。そんなことを抑えているだけも、充分に時間の節約になっているのです。
インターネットでは、確かに欲しい情報が瞬時にして手に入ります。けれども、調べたいことが曖昧だったり、なかなかピンポイントの検索単語が出てこないときには、逆にたくさんの時間がかかってしまうのではないでしょうか。実際にそんな経験をした人も多いと思います。
その反面、本であれば本屋さんでも図書館でも、関連した情報は同じ棚に収まっていることが多いです。また、一冊の本は時間をかけて編集されているので、情報が効率よくまとめられているのです。
調べものには、まだまだ本を利用した方が効率がいいと言えるのではないでしょうか。

Posted in 小説の街 | コメントは受け付けていません。

季節に合わせた洋服を

季節に合わせた服装をするときに、一番洋服が合わせにくい季節と言えばやはり「春」と「秋」ですよね。いわゆる季節の変わり目という時期は、どうしても着るものに苦労してしまうと思います。お天気や気温が安定しないこともあり、普段そんなに気にしない私でも、タンスの中身とにらめっこしてしまいます。
普段から洋服にはあまり興味がなく、なんとなくローテーションで着回すことで不便を感じずに済んでいるのですが、この時期は少しファッション雑誌を見てしまいます。いつもは雑誌コーナーをスルーしてしまうのですが、春、秋になると足を運んでしまいます。
とは言え、地域性もそれぞれですので、雑誌の服装そのままコピーして着てしまうと、いわゆる「浮いてしまう」ということになりがちです。なので、ポイントだけを押さえるといいかもしれませんね。この季節の羽織ものの丈の長さはどうなのか、流行る色は何色なのか、などなど。
こう考えると、「夏」と「冬」は服装に悩むということはあまりないかもしれません。夏はワンピース1枚や、ジーンズにTシャツで済んでしまいますし、冬は上にコートを着てしまえばいいのですから。
着るものに困る季節=一番お洒落し甲斐のある季節なのかもしれませんね。

Posted in 日記とか | コメントは受け付けていません。

週末の楽しみ

一週間仕事で疲れた自分自身に、何かちょっとご褒美を、と思うことがありませんか。頑張って頑張ってようやくたどり着いた週末、何をして過ごすのでしょうか。
気の合う仲間たちと飲みに、ご飯に、ちょっとカラオケに、というのもいいですが、私は週末の夜は一人でグータラな過ごし方をするのが一番好きです。こういう一人の時間が大事だったりするのです。
まず、近所のレンタルショップでDVDを借ります。今ハマっている海外ドラマでもいいですし、時にはホラー映画を借りたり、ヒューマンストーリーを借りることもあります。借りる内容はその時で違うのですが、ここでゆっくりと物色している時間自体が癒しの時間だったりもするのです。
帰宅後は、お決まりの部屋着に着替えて簡単な食事を早々に済ませ、あとはのんびりダラダラと過ごすのです。食後は温かいコーヒーを飲みながら、読みかけの本の続きを読むのがいつものスタイルとしてここ最近定着しつつあります。大体常に、読みかけの本がありますので、通例行事のようにもなっていますね。
その後は借りてきたDVDを、眠くなるまで、気が済むまで見続けるのです。この時間は本当にリラックスタイムです。ほんの少し部屋の明かりを落として薄暗い中で一人鑑賞会です。ひとつ残念なことがあるとしたら、お酒があまり飲めないことでしょうか。ここにお酒とおつまみがあれば最高なのになと思いつつ、週末の楽しい過ごし方を満喫するのでした。

Posted in 日記とか | コメントは受け付けていません。

眠れない夜を過ごす

眠れない夜、皆さんどうやってすごすのでしょうか。私は昔から、枕が変わってもいつでもどこでも眠ることができ、例え寝る前にコーヒーをブラックで飲んでしまってもなぜか不眠になるということがないので、眠れない夜を過ごすということがあまりないのですが…。
こういった時、「なんとか眠れるように努力する」タイプと、「眠ることを諦め起きてしまう」タイプに別れると思います。抗う人と、受け入れる人とでも言えばいいでしょうか。それぞれの選択により、その後の行動も変わってきますよね。
抗う人、つまり、「なんとか眠れるように努力する」タイプの人は、例えば飲み物に力を借りることが多いのではないでしょうか。お酒やホットミルクを飲むといいと聞いたことがあります。それから、リラックス系の音楽を静かに流すとかも良いようです。照明の明るさもポイントかもしれませんね。
それから、受け入れる人、つまり、「寝ることを諦める」タイプの人は、自由に好きな過ごし方をします。とは言っても夜中ですので、あまり大音量で迷惑をかけることを除いてです。好きな小説や漫画を読んだり、ゲームをしたり映画を観たり。ただこの過ごし方は、翌日が休日でなければ辛いとは思うのですが。
眠れないということは、かなりのストレスにもなります。快適な眠りを得るため、またはその時間のそれぞれの過ごし方というものは、思っている以上に人間にとって大切なことなのかもしれません。

Posted in 日記とか | コメントは受け付けていません。

古本市の誘惑に負けてしまうことがあります

有名な古本街でなくとも、例えばお寺の一角で古本市が立つことがあります。ふと立ち寄った旅先のお寺で、そんな様子を見てしまうとふらふらと吸い寄せられてしまうのが、本好きの悲しいサガというものではないでしょうか。
大手古本チェーン店のように、安い均一本があるわけではありません。メジャーな本も少ない場合がほとんどです。それでも、レアな本や昔懐かしい本、ずっと探していた本などは、こうした古本市で巡り合う可能性がぐっと高いのです。
そんな古本市にウキウキしつつ、困ることといえばお金のことではないでしょうか。なんせ、ふと立ち寄って急に出会うことが多いのです。そして、こうした古本市ではたいてい、カードは使用することができません。街中であればともかく、ちょっと賑わっているところから離れたところに市が立つことが多いので、ATMも遠くにあったり…。そのときの自分の所持金でなんとかするしかありません。とっても欲しかった本、一目ぼれしてしまった本でも、金額的に折り合いがあわずに、泣く泣くあきらめてしまった経験もあります。これもまた、本との出会いの一部に含まれるのでしょうか。それでも立ち寄れずにおれないのが、古本市の何とも言えない魅力になっているのですね。

Posted in 小説の街, 小説関連 | コメントは受け付けていません。

カフェで一人の時間を

お洒落なカフェがたくさんある世の中、休みの日にはそんなお洒落なところでまったり…なんていいですね。仲の良い友人と一緒にカフェ巡りも楽しいですが、時には一人でのんびりと素敵な空間で過ごすというのもお洒落な感じがします。
以前ほど、「おひとりさま行動」に抵抗を感じることなく、フラッと立ち寄ることが出来る人が増えてきているような気がします。男女問わずに一人で飲食店を利用している姿をよく目にしますね。
それでも、「一人でご飯はちょっと…」という方でも、カフェなら少し敷居が低いようにも思います。飲食店よりも時間がのんびり流れており、ゆったりくつろげる空間がそこにはあるのではないでしょうか。
コーヒーを飲みながら読書をしたり、パソコンを開いて仕事をしたり。作曲家さんなどは、ここで曲のフレーズを考えたりもするのでしょうか。店内に流れる音楽や照明の明るさなども、落ち着いた雰囲気のものが多いですよね。
また、店内でちょっとした雑貨を一緒に販売したり、作品の展示をしているようなお店もあるようです。思わず長居をしてしまいたくなります。
飼っているワンちゃんと一緒に利用できるドッグカフェもあり、中にはドッグランが併設してあるところも。ストレスを溜めてしまうのは人間だけとは限りません。ワンちゃんもたまにはこんな風に息抜きしたいですよね。
どんな人でも気軽に立ち寄れて、自分の時間を過ごすことが出来るカフェには魅力がいっぱいです。

Posted in 小説の街 | コメントは受け付けていません。

mement mori

ここ数年で、どんどん体の不具合が増えている気がします。冷え性はどんどん悪化の一途をたどっているし、健康診断を受けるたびに体重が増えていたり…これは単なる不摂生ですね(笑)でも、10年前と比べると病院に行くことが増えました。
昨日も友達とそんな話になり、「もううちらも若くはないよね」なんていう言葉が飛び出す始末。10代の頃は感じなかった「前日の疲れを翌日に持ち越す」という感覚も毎日のように味わっています。
そんな悲しい女たちの会話の流れ、最終的に行きついたのは「結局生き物って、死に向かって生きているんだよね」という哲学的なところ。昔から多くの詩人や画家、作家たちがテーマとして描いてきた「メメント・モリ」というやつですね。死を想えなんて訳されることが多いですが、もともとはそういう意味ではなかったようですよ。
元々の趣旨は、「明日死んじゃうかもしれないから、今は陽気に過ごそう。飲んで食べて歌って踊ろう!」みたいな感じだったらしいです。それが、キリスト教の世界観と交差することで死の意識が重要視されるようになり、今のように「死を想え」というちょっと切ない解釈になったんだそうです。
良くわからないままに、そんな哲学的な話をして、行きついた結論は、「我々は元の趣旨に従おう(笑)」というもの。いつ死んでも後悔しないように、楽しく笑って過ごせたらいいかな、なんて。もちろん、健康であることは大前提ですけどね。

Posted in 小説の街 | コメントは受け付けていません。